実施者の声
社会福祉法人 麗寿会
SOSネットワーク 事務局
1) 徘徊高齢者SOSネットワークを作るきっかけとなったこと
平成7年暮れ、市内で一人の認知症の高齢者が行方不明になって2日後に自宅近くのゴルフ場の側溝で死亡して発見された。この痛ましい事故がきっかけとなり当時の保健所(現、保健福祉事務所)が中心となり、保健、医療、福祉の各関係者、民生委員、警察、消防も含めた検討委員会を発足。「二度とこのようなことが起きないように」との共通の願いを確認しつつできあがったのが「徘徊高齢者SOSネットワーク」(以下SOSネットワークとする)システムである。約1年半にわたって検討され確認されたことは、誰でもが認知症になりうる可能性をもっている。たとえ、認知症になっても、住み慣れた地域で、近隣の方々のサポートをうけながら安心して暮らし続けることができる地域づくりであった。
2)SOSネットワークを立ち上げるためにまずはじめに取りかかったこと
徘徊高齢者の死亡事故が様々な事業所、機関で話題になり、身近なこととして各専門職を通じ、市や保健所に二度とこのようなことがないようにするには何か良い方法はないだろうかと相談が持ち込まれた。そして、茅ヶ崎保健所、保健福祉サービス調整推進会議・老人部会で「SOSネットワークづくり」に取り組むことが合意された。
※老人部会のメンバー:市、町の関係者、保健所の関係者、特養ホームの代表者、在宅介護支援センターの代表者
まずはじめに
①先駆的取り組み事例の収集(茅ヶ崎市社会福祉協議会の協力で「釧路市のSOSネット ワーク」に関する情報収集)
②市、町の認知症高齢者の実態とそれぞれの地域特性を知る
③警察での保護事例を通して各機関の現状と課題の検討
(24時間対応できる窓口の必要性、保護された高齢者の一時保護施設の必要性が出された)
④委員に当事者である家族が加わる。「SOSネットワーク」のイメージづくり、フェースシート、休日及び夜間の対応について検討
⑤老人部会の中にプロジェクトチームをつくる (=登録用紙等作成にむけ作業開始)
⑥プロジェクトチームで各種様式を完成
⑦市、町、茅ヶ崎保健所、家族会で分担し、対象者あてに「SOSネットワーク」の案内をする
⑧「SOSネットワーク」の試行実施(平成9年8月~平成10年3月)
⑨連絡網の作成、連絡網にはボランティア団体、バス・タクシー会社、コンビニエンスストア、JR駅なども協力機関として加わる。
24時間体制で対応できるように窓口を特別養護老人ホーム併設の在宅介護支援センターに設置した。
⑩リーフレット作成やシンポジウムを開催し、広く市民に理解を求める
⑪課題整理をし、平成10年4月より本格実施
⑫毎年連絡会議及びシンポジュームを開催
→ 広く市・町民並びに、各事業所が理解する。
⑬家族会と共同の研修や相談を実施、繰返しおこなうことにより認知症への理解を地域に広めてゆく
⑭年度末には、振り返りの連絡会議を持ち、SOSネットワークのあり方を検討している
3)苦労したこと
SOSネットワークを立ち上げたことは良かったが、関係者の中で理解が不十分で連絡網の途中で連絡が止まってしまったり、最初のころは混乱を避けられなかった。
どうしたら人が動き、協力してもらえるのか、良い方法を見つけ出すのに苦労した。
そこで、SOSネットワークへの協力者を中心にしながら小地域活動(自治会単位で)をおこない認知症への理解とSOSネットワークへの協力の呼びかけを1年かけて(全地域に)実施した。
このことにより、協力者の数は増加し、また、認知症の方に対する見守り支援や家族に対する支援が各地域で生まれてきた。
現在では、認知症の高齢者を抱えている家族は本人の状況をオープンにし、地域の方々の支援を受ける方が増えている。その中でも認知症の人を看取った家族の会の支援は大きな支えとなっている。
このように、繰返し認知症への理解を市民にアピールすると同時に、SOSネットワークへの協力者に対し年1回の現状の報告とネットワークシステムのあり方について意見を求めてゆくことが重要である。
4)SOSネットワークを運営している中で感じるもどかしさ
SOSネットワークの事務局として、常にこのシステムが有効なものであるように考えているが、各関係機関の担当者の交代等により機能が停滞してしまうことがある。
改めて理解してもらうのに時間を要し、例えば緊急一時保護された認知症高齢者がいても、スムーズに一時保護施設に搬送されなかったり、必要な情報が関係機関に行き渡らずに身元確認に支障を生じてしまうことなどがあった。
行政、各機関の担当者の交代はシステムを機能させていく上でとても重要なことで、十分な引継ぎとSOSネットワークの意味を理解してもらうことが必要である。
また、徘徊高齢者が保護されることが何件か重複した場合など、ベッドの確保が困難な状況も出てきてしまうこともあり、一時保護施設を増やすことも考えていく必要を感じる、各市町村で少なくても2ヵ所くらいは必要ではないかと考える。
さらに、各事例に対してコーディネーターを誰が担うのか、また関係者の協力体制の確認が折にふれて必要であると感じている。
地域への啓蒙活動と各関係機関職員へのSOSネットワークに対する共通認識と理解の促進は重要で毎年繰返し実施しているが、食違いが生じたりすることもあり特にコミュニケーションの重要性について改めて考えて見ることが大切であると考えている。
5)SOSネットワークの活動で変わったこと
地域としては、自治会や公民館で講座を継続的に実施したことにより地域住民の認知症に対する理解が少しずつ深まり、地域での見守り支援等の活動が生まれた(町内の誰々さんが少し認知症になっているみたいなので地域の皆で散歩道を見守っていきましょうなど)。
家族としては、身内に認知症の高齢者がいることをオープンにできるようになった。専門職や介護経験者の人から様々なアドバイスが受けられることで、地域の人たちに見守ってもらい、ギリギリまで家で介護したいと思えるようになるなど、このシステムがあることで認知症が進んでも安心して在宅でみていけると思うなど、気持ちの変化があり、SO Sネットワークに対する期待が大きいことが伺える。
行政としては、システムを有効に機能させるために牽引役として常に協力体制が取れる関係づくりを率先して行うことが求められている。
積極的な関係づくりのおかげでこのシステムができて以来、徘徊高齢者の死亡事故はゼロ件である。行政が果たす役割の効果は様々な形で現れている。
施設としては、SOSネットワークシステムの中で身元がわからない徘徊高齢者の一時保護施設としての役割を果たしていくことで、新入職員からベテラン職員まで認知症への理解が深まり、どのような方が保護されても状況に応じた落ち着いた対応ができるようになり、結果として職員のケアの質の向上が図られた。認知症になっても住み慣れた地域で安心して暮らしてゆくことができる町づくりのためにも。